2008年8月28日木曜日

猿祭り

ううう・・・
猿祭りで、もう自分一人ではどうにもできなさそうなので、
またセックス禁止ルールを導入しました。

エロ動画で射精したらセックス禁止

このルールは、そもそもセックスができないような状態では全く無意味ですが、
セックスできるときは絶大な抑止力になります。

今回は彼女がやっとそれなりに健康な状態に戻ったので、このルールが意味を持ちます。
情けない話なんですが、これがないとエロ禁すら続けることができないようです。

ここ1ヶ月はずっと1日1回前後ペースでエロ動画を観ながら射精してました。
でも、来年の試験勉強のこともあり、悠長にエロ禁を一人でするにはどうしたらいいか、と考えている時間的な余裕が無いんです。前回の日記に書いたように、このルールに頼らないとできないようなエロ禁は、ほんとのエロ禁ではないと分かっていますが、とりあえず、エロ動画にこれ以上時間取られたくないので、前言は置いといてしばらくルール導入します。彼女の健康状態が◎な限りは。

目標は1ヶ月エロ禁
単独オナニーは依存性が今まで無かったのでOK。でも、単独でオナニーするのはつまらないし、しないと思う。

2008年8月18日月曜日

うんざりしている

今日はゲームしてからイライラして射精した。
この王道の猿路線は兎も角として、ほんとにうんざりしている。

いつもこうだ。

しばらくのエロ禁の後、「飽きて」唐突に猿状態に陥って、
猿も「飽きて」嫌になって←今ココ

いつものループのことを考えていると浮かんでくるのは
「自分を落として持ち上げるお手軽ベクトル」という」概念
mind

◇ ◇ ◇

オナニーして射精して、「また頑張らないといけないな」とちょっと新たな気持ちになって思う。でイライラが溜まると、また射精して、また頑張ろう、と考える。

◇ ◇ ◇

オナニーして、一時絶望してから改めてスタートするという、底辺からの出発というベクトルは清々しくて気持ちのいいものだ。何も無いところのからのスタートは楽で良い。

この、清々しさ、だけが欲しくて射精するようになる状態は一種の堕落状態で、これは一見、新たなスタートを切れそうに思えるが、結局やっていることは、射精したというマイナスの状態から、ゼロに向かっているだけ。

上を向いているから、自分はうまくやっていける、と思うのは自由だが、ゼロに来る前かゼロの前後で射精してまた底辺に戻ることの繰り返し。で、自分はほんとのところ、絶えずマイナスの状態にある。

これは、オナ禁に内的かつ自発的な目標の無い自分のような人間にはよくある堕落状態。
ただ単に、マイナスの状態の中で、ゼロに向かって行ったり落ちたりしている。ゼロより上に飛び出せない

そして上に向かう自分を清々しく思って満足している。

◇ ◇ ◇

これではいつになってもゼロより上には行けない。
ゼロより上に行くために必要なのは、オナに対して自分は何を望むのか、という部分と深く関わっている。内的な自発性が必要。

◇ ◇ ◇

このベクトルは、毎回の射精に当てはまる物として考えたことだったけれど、最初に言ったエロ禁−猿ループにも全く同じことが当てはまると思う。エロ禁が続いたという事実に満足したのと、同じことを続けるのにただ飽きて、あっという間に猿に戻る。直に猿にだって飽きる。

前にも述べたように、今の自分にはゼロより上に自分を持ち上げるための何かが、足りていない。

2008年8月13日水曜日

死・・・

猿。

何ヶ月かエロ禁しても飽きて動画観て、すぐに猿。
猿が嫌になってまたエロ禁してしばらく飽きて猿、エロ禁ry)

このスパンの中にいる。

◇ ◇ ◇

あれから色々と書き出してみたけれど、今後のエロ禁について明確な指針が立てられないでいる。今現在、僕が思うのは、もっと自分の中から内的に、エロ禁欲求が出てきてほしいということだ。どうも、今の状態では、それほどエロ禁したいとも考えていないし、とかくエロ動画に流されがちになる。

僕が僕に望んでなんとかなるかは分からないけれど。エロ禁の動機を、セックス等の外部の事柄に置いてしまうと、どうも、今回のようなエロ禁ー猿ループを繰り返すだけのような感じがする。

僕が目指しているのは、エロ動画を観なくても平穏で満ち足りた日常生活・・・
エロ禁の日々をだらだらと伸ばしても、また猿に戻ることが予想できるなら、あまりエロ禁のメリットがない。

内的な動機、無いものは無い。なかなか出てこない。完全に無い訳ではないと思うが。ゼロならこんなブログは立ち上げないし。

2008年8月8日金曜日

思想なき重積リセット

昨日エロ動画観たときはこんなつまらないもの、と感じたが
今日はとてもやらしくてイイ!イイ!のような盛り上がった感情を抱いた。
どうも、1回でも観ると、エロ動画に対する敷居が下がって、より観たくなるようだ。

いずれにしろ、オナニーはセックスの代わりにはならないが、溜まったモヤモヤの処理は出来る・・・
オナニーして射精してしまうと、僕は、ほんとにセックスがしたいからイライラしているのかどうか疑問に思えてくる。問題は、性欲のもっと向こう側にある感じがする。性欲というのは一つの問題の現れ方であって、問題そのものではないように思う。でも、その向こう側にあるものが何か、今イチはっきりと摑めない。まだまだエロ動画とセックスと性欲に翻弄される日々は続きそう。

今後しばらく、エロ動画欲がくるだろうが、止めるのは難しいだろうな。
単調な生活(試験勉強)だから尚一層難しい。

◇ ◇ ◇

今回また例の罰則がうまく効かなくなってきたわけだが、件の「エロ動画観たらセックス禁止」は、「まともなセックスが成り立つ」ことが大前提として必要であり、そのまともなセックスができないような状態が続いてたら、そもそもルールとして意味を為さないことが分かった。

それともう一点は、オナニーとセックスを同列に論じることができるかどうかということ。

このルールは、オナニーとセックスを代替可能な概念であると捉えて作った。代替できるってのは、勿論、射精という結果があるから、代わりになると思って導入したけど、ほんとに射精だけでひとくくりに捉えていいものか、最近分からなくなっている。

ルールに、セックスのような、不確定な要素を持ち込むのはよくないな。しかし、そうすれば、エロ禁の目標に掲げた「健康的なセックスを行うため」というのすら脅かされてくる。正直、エロ禁していても、セックスがすごくよくなったというわけでもなかった。エロ禁しても、自分の性に対する考え方の芯みたいなものはあまり変わらなかったからねえ。

オチがなくてすいませんが、ちょっとまた考えてみます。

2008年8月6日水曜日

エロ禁+射精リセット

セックスしたかったができず、イライラが続いたので
リセットした。