2015年3月14日土曜日

このブログを始めてからもうかれこれ、6年と9ヶ月。エロ禁(オナ禁ではない)1-100日程度と、エロ卒業には成功していない。ただ精神の健康のために行うだけでは、小康状態→再発、のループにはまり込むだけで。結局・・・振り返ると、期間の長短はあろうが、エロ動画が組み込まれた生活を送っている。「エロ動画なしでやってゆけるような精神」にはとてもじゃないがなれていないと思った。エロ動画自体の依存作用もあるとは思うが、それは一番大きな問題ではない、フランクル氏が述べたように、最大の問題は「実存的空虚感」にあると思う。「エロ動画でない何か」がその空虚感を埋めないことには、上に書いたループから脱することは難しいと思う。ただ、一つ思うことは、エロ動画を観ることを辞めてからこそ、実存的空虚感を埋める「何か」を探す(か、「発見」する)スタート地点に立てるのかもしれない。とすれば、エロ動画から今後一切遠ざかることが、最優先の目標となる・・・エロ動画なしで、その空虚感に立ち向かうことは、なんだかとても心寒い感じがするのだが。

自分は、もうすっかりとエロ動画に屈してしまっているようだ。

2014年8月16日土曜日

実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していく(性神経症について)

妻が妊娠し、子供が生まれてから、レスになり、一言で言えば週1、2回の「減オナ」程度で、数年経過してきたが、最近出会ったいくつかの文献に衝撃を受けたため、オナ禁、正確にはエロ禁を再開することにした。特に思想もなく射精していたので、書くことも無く、数年に渡り殆ど更新していなかったが、今回自分が知った情報は、オナ禁戦士(と一般的には呼べばいいのかな?)には非常に有用と思われるため、今頑張っている戦士、今後頑張る戦士のための助けになることを祈り、引用させていただく。 エロ動画等インターネットで手に入るメディア情報から性的行為を行うことはインターネットポルノや、サイバーセックス依存と呼ばれる(*1) 。検索すればインターネットポルノの有害性について書かれた無料で手に入る情報がいくつかあるが、日本語では宗教関係のページがヒットすることが多い。勿論、中には有用な情報もあるが、特定の宗教に基づいた考えとして発信したいわけではないので除外させていただく。

1. 実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していく (V.E. フランクル)  
 フランクル氏は精神科医で、ナチスの収容所での体験を述べた『夜と霧』が国内では最も有名と思われる。氏は、人間には生きる上での意味への意志があると説き、精神療法の一つであるロゴセラピーを創始した。自分は『夜と霧』は以前から読んで、そのリアリティに戦慄していたが、それだけだった。今回ひょんなことで氏のロゴセラピーの文献を何冊か読んで、氏が世に氾濫するポルノについて言及している一節を目にして衝撃を受けた次第である。以下その一節を引用する。(*2)
引用開始"われわれは、こんにち至る所で、(中略)意味への意志が著しく欲求不満に陥っているのを見てとることができる。(中略)この無意味感は私が「実存的空虚感」と呼んでいる空虚感を伴って現れてくる。そして、この実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していくのである。このことによってこそ、こんにち広まっている性的インフレーションも、最終的に説明されうるのである。インフレーションというものはすべて、金融市場におけるインフレーションと同じく、価値の低下をもたらすものである。正確に言えば、性的インフレーションの流れの中で性欲の価値低下が起こるのは、それが非人間化されるかぎりにおいてである。人間的な性欲は、まさに単なる性欲以上のものであり、それが性欲を超えた人格的関係の表現手段であればあるほど、単なる性欲以上のものなのである。"引用終わり
氏が述べた「実存的空虚感にリビドーが増殖する」という記述に心底はっとさせられた。エロ動画を観たくなるときの心の状況は、「心の隙間」があるときに限られていた。忙しい中では自然にエロ動画からは遠ざかっていた。忙しい仕事も片付けて、ふと暇になったときに、どくどくとエロ動画欲が湧いてくる。その「隙間」こそが「実存的空虚感」であったのだと思い知ったのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

頭ではっきりと分かったことは、エロ動画そのものにも女性蔑視的な視点等有害な副作用があるが、そもそもエロ動画を観てしまう根本的な原因は「実存的空虚感」の存在である。エロ動画そのものの問題だろうが、本質的にはこの空虚感の存在こそが問題なのだ。エロ動画は空虚感を消すための一つの手段でしかなかったのだった。この空虚感そのものをなんとかしないことには、いくら禁欲しても、無意味なのである。空虚感がある限り、またいつかエロ動画を観る日がやってくるのだろう。

 ◇ ◇ ◇

 さて、もう一つ大切に保管している名言を引用させていただく。これはおそらく10年ほど前、wikiなどが無かったときに京都大学医学部の学生が作成したデータベースに記載されていたFAQで手に入れたものだが、元ページを失念したため、引用元を示せないがお許しいただきたい。
以下引用

2. 「問」自慰行為の快楽に、弊害はありますか?自己満足に浸るなら、害はなさそうですが。 「答」  現代は、性に関する情報が氾濫している。  なぜなら、商業主義、人の注目を引くには、人類が抱える欲望、性欲に訴えると容易ゆえ。  だから、誰も彼も、衣服も理性も、脱ぎたがる。  その中にあって、丸裸にされた我々は、数分毎に欲情する、動物並の頭脳を持つ。  性欲に関する、神経回路だけが、太くなり、何を見ても、性欲のために、思索が断絶する。  もし、嘘だと思うなら、禁欲すると良い。  性の妄想が消え、ストレスが消えた暁には、どれだけ集中できて、どれだけ知的になるか。  知性の喜びを知れば、サルからヒトに進化する。  また、いかなる快楽の裏にも苦痛がある。  性欲に溺れると、次第に心が痛がりになる。
◇ ◇ ◇ 

1の文献で氏は、非人間化された性欲(つまり相手が誰でもいいってこと、風俗とか、エロ動画とか)の段階にある人間は「性神経症」の状態にあり、未熟な性心理発達段階であると述べているが、2の引用で述べられている内容も「性神経症」の症状と思われる。神経回路が太くなり〜ってのは、依存の快楽にかかわる神経(A10?)の話か?

 ◇ ◇ ◇ 

頭では分かったが、結局どうすればいいのか、という点については自分也にまとめてみると 概ねは依存症に対する心理教育と認知行動療法的なやり方と同じではないか。 
・意味への意志が訪れるまでエロ動画を観ずにどっしり待つしか無い  
 実存的空虚感は辛い、それはどうしようもない。が、エロ動画を観てもその辛さが増すばかりという事実を如何に忘れないことが大事か  
 意味への意志とは、自分也に変換すると、要するに生き甲斐とか愛とか、とかく現代は上滑りしがちな言葉によって表される存在  
 ※氏は「意味への意志」は探求するものではなく、「待つ」ものだと述べている。
・自然な恋愛をして、愛せる相手を見つける、その上で重要なのはポルノへの暴露をできるだけ減らすこと。
 エロ動画を観ている限り、唯一無二の愛を発見する過程にステップアップすることはできないと思われる(エロ禁して彼女できるってパターンは、要するに性心理発達レベルがエロ動画から離れることで発達したってこと)

 ◇ ◇ ◇ 

1. Jpn J School Health 54;2012;152-161
2. V.E. フランクル 『人間とは何か 実存的精神療法』

2011年8月12日金曜日

 さて、週2回ほどのペースでエロ動画を観て射精しています。
 睡眠時間は6時間半ほどですが、それではかなり翌日がしんどいです。
 依存というほど,日常生活は破綻していませんが、翌日のしんどさのことを考えるともう少し控えるべきかもしれないとは思います。エロ動画なしで落ち着いて生活できるかどうかは・・・まだ長期エロ禁の動機がないために、検証していません。
 しばらくはこんな感じでしょう。

2010年12月31日金曜日

総括

 お久しぶりです。簡単に性欲方面について報告したいと思います。
 まずは現状報告からです。エロ禁は特にしていません。しかし、仕事が忙しいのと、結婚して同居を始めたことでエロ動画を観る頻度は自然と減っています。なので、脱依存とまでは言いませんが、少なくとも、依存状態ではないです。ブログ削除ルールは、自然と減り始めた頃から勝手に適応なしにしてしまってます。自己都合ブログですみませんね。
 エロ動画による性的イメージの浸食は大分なくなりましたが、ただ単に翌日がしんどいです。なので、減エロ方針は変わらず続けて行くつもりで居ます。
 オナニーをどうするか、特に結婚している状態でどのような形でしていくかは、別問題です。じっくりと考えて行くつもりです。とりあえず、元日から仕事なので頑張ります。

 オナ禁erの皆様。今年もどうもありがとうございました。きちんとRSSに登録して読んでおりますので。来年もよろしくお願い致します。どうぞ温かい目で見守ってくださいませ。

2010年7月29日木曜日

生存報告

週1エロ禁はできています。
まあまあ充実した日々・・・(性的にも)

2010年5月18日火曜日

動物園ry

 正直、どうするのが自分にとって一番良いのかよくわからなくなりつつあるのだが・・・
 そろそろ禁欲してみよう。定期エロをやってみようかな。
 エロは週1で、のような感じで。
 それで行ってみる。オナは制限無し。エロは週1で。(ブログ削除ルール) 今から開始。今さっき出したから来週迄エロは禁止だ。

2010年4月19日月曜日

動物園から戻ってきました

 猿っていました。
 そろそろ、疲れが出てきたので、しばらく止めてみようと思います。
 「目的がない」という時点で、自分にとっては長期エロ禁も、猿状態でも同じであるように感じます。今回も疲れてきたのでお休みするだけで、強い目的があるわけではありません。
 とりあえず、ブログ削除のルールで、2週間のエロ禁を実行します。