2009年1月23日金曜日

エロ禁プラトー

最近の生活にかんして。基本は学校で友人と朝から夜まで勉強している。したがって、孤独ではない。来月が本番試験で、これに受からないことには人生が転覆するので、今はこれが第一(すべてでは無いにしろ)

家に帰ると、
・週3回ぐらい、性器を擦るだけのオナニーをしている。
・ネットをしていて、エロい画像をちらっと見に行ったりする。時々それを凝視する。あまりムラムラしない。
・映画のセックスのシーンだけ集めた動画を観る。少しムラムラするが、爆発はしない。
・オナホールを試した。今は使っていない。
・週末に訪れる彼女とのセックスに思いを(少しだけ)馳せ、週末はやってくるが、セックスは1時間もしないうちに終わる。少し、物足りない(物足りたセックス、というのは理想的なセックスと同義であり、そう簡単にできるものではないと思う)。彼女が調子悪くても、セックスを欲してしまう:日々の延長として、会話の一環として、快感を得る方法として。抱き合うことは素晴らしい。それが好きな相手とであれば尚更だ。しかし、セックスをお互いが欲する結果として日常的にしている、というのなら分かるけれども、日常的にどちらかが無理してする、というのには違和感を感じる。(無理してでも僕は正直いつでもしたいが)お互いが強く欲して自然と交わる、ということは中々少ないように思う。

断固としてしていないことは、エロサイトでエロ動画をダウンロードしてきてそれを観ながら射精する、ということだけだ。僕にとって、最も強い依存の対象であるのは、射精の快感そのものではなく、快感をもたらすエロ動画だということははっきりと分かっているので、射精のときにエロ動画さえ見ていなければ、さほど問題を来すこともない。今のところ。

ただ、筋の通ったエロ禁からはどんどん遠ざかってきている感じがする。エロ動画を時々観たくなる。でも観るわけにもいかないから適当にお茶を濁している。オナニーするためのオナニーというのがあまり気分を高揚させるものでもないことが分かってきた。放尿する感覚に近い。別に溜まる訳ではないが、あ、出したいな、出すか、という感じ。

エロ動画を観なくなってから、観ているときに感じていたあらゆる女性に対するむらむらした感じ:焼け付くような情欲が、殆ど無くなった。エロい夢を観ることも無くなったし、性的な欲望が頭にこびりついて離れない、ということもなくなった。落ち着いた日々だ、と言えばそうだけど、地味と言えば地味だ。

欲望は何かに置き換わったのか:エロに支配されていた部分がぽかっと抜け落ちただけで、未だそこには何もないような印象を受ける。

来月の試験が終われば、猿に戻りそうな感じがする。
エロが強く、空白に入り込もうとしている。

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